寄生企業とは?

全国どこの市町村にも、少なからず「自治体に寄生する企業」という存在が見られる。表向きには地域活性化を掲げ、デザイン性に優れたパンフレットや洒落たホームページで世間の目を引く。SNSでも「地域との共生」や「持続可能なまちづくり」など、耳障りの良い言葉を並べている。しかし、その実態を掘り下げてみると、まるで自治体の財政に寄生するかのように補助金や委託費を吸い上げ、実質的な自立経営は不可能なまま、赤字垂れ流しの事業を延命している企業が数多く存在する。
寄生企業とは何か
ここでいう「寄生企業」とは、自らの事業収益で継続的な経営を維持するのではなく、自治体の補助金や委託費、助成金などの“公的な財源”に依存して活動している企業のことを指す。彼らの収支構造を見ると、自主事業による収益はごくわずかであり、その大部分を税金でまかなっているケースが目立つ。
例えば、市が地域活性化の一環として立ち上げた「クリエイティブ拠点」や「まちの魅力発信センター」などがある。運営は一見、地元に根ざした民間企業が請け負っているように見えるが、実際には企画段階から運営費用まですべて市の予算で支えられている。企業は施設の維持費やスタッフの給与すら自己負担せず、毎年のように同じ“委託”名目で数千万円単位の予算を受け取っているのが実態だ。
表面だけの“オシャレさ”
寄生企業が巧妙なのは、見た目に力を入れている点である。おしゃれなロゴ、洗練されたSNS投稿、地元の若者を巻き込んだイベントなど、一見すると「今どきの地域活性化事業」と見えてしまう。それにより市民からの関心や支持を得やすく、市の担当者も「市民ウケが良い」として予算をつけやすくなってしまう。
だが、肝心の“成果”はどうか。人が集まるイベントも、継続性がなく一過性に終わることがほとんどで、地域経済に波及するような本質的な変化は生まれていない。地域に本当に必要なのは、税金を注ぎ込んで維持する箱物ではなく、地元の住民や事業者が自発的に動ける仕組みであるはずだ。
自治体との癒着構造
なぜこうした寄生企業が生き残り続けるのか──それは、自治体と企業の間に温い癒着関係が存在するからである。長年にわたって委託契約を続けてきた企業は、行政との“なあなあの関係”を築き、競争原理の働かないまま毎年同じように契約を更新する。形式的には公募やプロポーザルを行っているように見えても、実質的には出来レースのような形で、同じ企業が受託し続けている例が多い。
また、市役所内部でも担当部署の職員は「実績がある企業だから」「これまで問題なかったから」といった理由で、疑問を持たずに予算要求を行い、議会でも深く追及されることは少ない。その結果、外部からの監視が働きにくく、税金の無駄遣いが恒常化してしまっている。
市民不在の“地域活性化”
こうした構造の最大の問題は、“市民の視点”が完全に置き去りにされている点である。税金は本来、市民生活の向上や公共福祉のために使われるべきものであり、一部企業の温存のために使われるべきではない。にもかかわらず、こうした寄生企業は「市民参加」や「地域づくり」といった聞こえの良い言葉を巧みに利用して、あたかも公益性の高い事業であるかのように装っている。
しかし実際には、住民の多くがその事業の存在すら知らず、結果として地域に実質的なメリットがもたらされていない。参加しているのは一部の“関係者”ばかりで、真の意味での地域活性化とは程遠いのが現実だ。
排除と改革のために
このような寄生構造を断ち切るには、いくつかの抜本的な改革が必要である。
第一に、すべての委託事業や補助金交付に対して、厳格な審査と成果検証を導入するべきである。形だけの報告書や参加者数ではなく、実際に地域にどのような波及効果があったか、数値や具体的成果で測定しなければならない。
第二に、民間企業への委託に際しては、毎回の公募を徹底し、実績や企画力に基づいて公平に評価する必要がある。同じ企業が長年にわたって独占的に事業を請け負うような体制は改め、健全な競争環境を整えるべきだ。
第三に、市民の声をもっと反映させる必要がある。委託事業の選定プロセスにおいては、市民公募の審査員を入れるなどして、税金の使い道に対する透明性と説明責任を強化することが求められる。
おわりに:本当に必要なものとは
本当の意味で地域を活性化させるためには、外から「何かをしてもらう」発想から、「自分たちで何かを生み出す」姿勢への転換が不可欠である。自治体はそのための支援者であるべきで、特定企業の延命装置ではない。寄生企業を温存するために税金を浪費するのではなく、真に市民に還元される使い方を見直すことが、これからの地域行政にとって最大の課題だといえる。
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