2025年、日本はかつてないレベルの米不足に見舞われた。冷夏や台風の被害、肥料や燃料などの高騰、農家の高齢化・減少といった複合的な要因が重なり、全国的に米の収穫量が大幅に減少。米の価格は跳ね上がり、スーパーや米屋の棚から徐々に米が消え、消費者は不安と焦りの中で“買いだめ”に走った。
そのような中、政府は備蓄米の放出に踏み切った。これは本来、災害時や不作に備えて国家が保有している米であり、通常は市場には出回らない。しかし今回は異例の措置として、市場への放出が決定された。消費者の多くは「これで価格が落ち着くだろう」と期待した。
だが、その期待は裏切られる。放出された備蓄米の96%がJAによって落札され、さらにそのうちの約90%が市場に出回っていないという実態が判明したからだ。
「公開入札」の裏にある“閉じた市場”

まず前提として知っておくべきは、政府の備蓄米は「誰でも落札できる」というわけではないということだ。農林水産省が実施するこの入札には、参加資格が設けられており、それをクリアした事業者だけが入札に加わることができる。
この参加資格を得るには、事前に農水省から承認を受け、審査を通過しなければならない。そのため、実際に参加しているのはJAグループや、大手商社(伊藤忠、丸紅、神明など)といった一部の大口集荷・流通業者に限られている。
つまり、制度上は“公開競争入札”であっても、実態はごく一部のプレイヤーしか関与できない“閉じた市場”なのだ。
備蓄米の96%を落札したJA――なぜ価格は下がらない?
2025年、政府が放出を決定した備蓄米の大半、なんと96%を落札したのがJA(農業協同組合)だった。そして、そのうちの約90%が市場に出回らず、JAの倉庫や保管施設に眠っている状態が続いている。
これはいったい何を意味しているのか。
本来、供給が増えれば価格は下がるはずだ。市場に米が潤沢に出回れば、買いだめも落ち着き、価格は徐々に平常に戻る。しかし実際には、備蓄米が市場に出てこないため、米の価格は高止まりを続けたまま。中にはさらに上昇した地域もある。
このような動きを見ると、「JAは価格を下げたくないから、市場に出さないのでは?」という疑念が湧くのは当然だ。
JAは“農家を守る”のか、“価格を守る”のか?
JAの最大の使命は「農家を守ること」である。農家が安定して収益を得られるよう、流通を支え、価格を下支えしているという面は否定できない。
だが一方で、今回のような“非常事態”においてまで価格維持を優先する姿勢には、多くの疑問が投げかけられている。というのも、備蓄米を落札しながら市場に出さないという行動は、「流通を通じて米価を人為的にコントロールしている」と見なされかねないからだ。
しかも、JAは「市場の混乱を避けるため段階的に供給している」などと説明しているが、実際には10%ほどしか出していない。これは「出しているフリ」をして、価格下落を防いでいるようにも見える。
「命を支える米」が“利権の道具”になっていないか?
米は日本人にとって命を支える主食であり、食料安全保障の象徴ともいえる存在だ。そんな米が、価格調整や市場コントロールの道具になっているとしたら、私たちはそれを見過ごして良いのだろうか?
今回の件は、単なる一企業や団体の行動にとどまらず、「誰のための農政か」「誰のための備蓄か」という根本的な問いを突きつけている。
消費者が苦しみ、価格高騰にあえいでいる中で、実際には十分な米が倉庫に眠っている――この構造はもはや健全とはいえない。制度上の“建前”の背後で、現実がどれだけ歪められているかを、私たちは冷静に見つめる必要がある。
消費者ができること――選ぶ力を手放さない
このような状況の中で、私たち消費者ができることは限られている。だが、完全に無力ではない。
例えば、地元農家からの直接購入、農産物直売所の活用、ふるさと納税など、JAや大手業者を通さないルートを選ぶことはひとつの手段だ。また、政治や政策に対する声を上げることも、決して無意味ではない。
「誰が米を支配しているのか」「本当に困っている人に届く仕組みになっているのか」――そんな疑問を持ち続け、伝え続けることが、次の時代の食料政策を変える力になる。
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