国民目線で考えることができる稀有な政治家

※画像はAIのイメージ画像です。
2025年、日本は異例の米不足と物価高騰に直面していた。天候不順や輸送インフラの混乱、そして世界的な食料事情の悪化も重なり、庶民の食卓に欠かせない「お米」ですら価格が跳ね上がり、一部の家庭では日常的に米を買い控えるような事態が起きていた。
そんな中、異例のスピードで動いたのが、農林水産大臣である小泉進次郎氏である。彼は就任からわずか1週間で、政府が保有する備蓄米の一部を国民向けに開放する方針を打ち出し、5キロ2000円という非常にリーズナブルな価格での販売を実現した。この政策は瞬く間に全国へ広がり、各地で「助かった」「久々にお米を気兼ねなく炊ける」といった喜びの声が相次いだ。
小泉氏のこの対応は、過去の農水行政と比較しても異例中の異例であった。そもそも、政府備蓄米は非常時や価格調整など、限られた目的のために保管されているものであり、それを「生活支援」として国民に販売するというのは、制度の解釈や運用において柔軟性が求められるものだった。
多くの前任者たち、あるいは農水族と呼ばれる自民党内の農業政策通とされる議員たちでさえ、こうした決断には二の足を踏んできた。なぜならば、備蓄米の放出には農業団体や米の流通関係者、地方自治体などとの綿密な調整が必要であり、利害のバランスを取るのに時間と根回しを要するからだ。
しかし、小泉氏はそれらを一気に突き破った。
彼は「国民が困っている今こそ、政府備蓄の存在意義を示す時だ」と明言し、農林水産省の官僚たちと連携して、数日以内に制度の運用を変更。全国の自治体と連携し、スピーディーに流通ルートを確保した。通常であれば数ヶ月かかるような手続きを、彼のリーダーシップのもとで一気に短縮したのである。
もちろん、これには自民党内の一部から反発もあった。
「農家の価格保護に逆行するのではないか」「備蓄米を軽々しく出すと、将来的なリスクに対応できなくなる」などの声があがったのも事実だ。いわゆる農水族議員たちからのものである。
だが、彼らに問いたい。では、あなた方がこの問題を迅速に、かつ国民目線で解決することができたのか、と。
答えは明らかだ。長年にわたって農業政策に関わってきた彼らでさえ、「制度が複雑だから」「前例がないから」「関係団体との合意が必要だから」と言い続け、動かないことを正当化してきた。つまり「動かないこと」が彼らの仕事になっていたのだ。
小泉進次郎氏の真骨頂は、まさにその“動かなかった政治”に風穴を開けたところにある。
一部では「パフォーマンスだ」「人気取りだ」と揶揄する声もある。しかし、今、日本人の多くが実際に恩恵を受けているのは確かな現実である。食卓に安心してお米があることのありがたさは、何にも代えがたい。それを実現したのが、今回の備蓄米政策であり、そしてその中心にいたのが小泉進次郎氏なのだ。
思い返せば、彼はかつて環境大臣としても異色の施策を打ち出し、国民の間で賛否両論を巻き起こしてきた。だが、こと農林水産行政においては、その“異色さ”がむしろプラスに働いた。
彼には古い枠組みにとらわれない発想がある。そして、その発想を現実の政策に落とし込むための「突破力」も持っている。今の時代、それこそが最も求められている政治家像ではないだろうか。
もちろん、備蓄米の放出は万能ではない。これをきっかけに恒常的に米価が下がりすぎたり、農業現場の疲弊を招いては本末転倒だ。しかし、小泉氏がこの政策を単なる「米のばらまき」ではなく、「一時的な生活支援」と位置づけ、次なる農業支援政策ともリンクさせようとしている点には注目すべきだ。
すでに、小規模農家への直接支援や、有機米・特別栽培米への需要創出施策、さらには輸出支援の拡充など、新しい時代にふさわしい農政ビジョンも示され始めている。
この一連の動きは、「ただ動いた」というレベルではない。構想力と実行力、そして国民の声に耳を傾ける姿勢――すべてがそろった稀有な政治判断と言える。
いま、我々国民にできるのは、小泉進次郎氏のこの英断をしっかりと評価し、政治が本当に国民のためにあるのだという希望を持ち続けることではないだろうか。
もちろん、政策には常にメリットとデメリットがあるし、長期的に見て検証すべき点も出てくるだろう。しかし、少なくともこの国の政治に「スピードと決断力」がまだ存在していることを、小泉氏は私たちに示してくれた。
備蓄米が炊きあがる香りが、ただの米の香りではなく、「政治が動いた証」として、心に刻まれる。そんな経験を、私たちはいま、しているのだ。
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