私のサーバーが創る世界 ― 唯我論とシミュレーション仮説

日記
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自己中心的現実仮説

私たちが読むあらゆる宗教の教えや哲学的著作は、しばしば「この世の現実とは何か」という問いに行き着きます。仏教では「色即是空」と説き、万物の実体性を否定し、「すべては夢幻に等しい」と語ります。一方、キリスト教の神秘主義では「我々の魂は神の御業の一端を担い、顕現世界は神の演出舞台である」とされます。ヒンドゥー教のアートマン(真我)思想では、世界の多様性は一つの宇宙的自我(ブラフマン)の顕れにすぎず、個々の「私」は究極的に一つであるとされます。これらの教えを深く読み解くと、結局のところ「外界とは自分の内界の反映に過ぎない」「目に見える人々は、あるいは幻想的な幻影に過ぎない」という思考にたどり着くことが少なくありません。

そこから発展して思い巡らせると、「自分の意識こそ唯一のサーバーであり、そこから生成された世界に他者はNPC(ノンプレイヤーキャラクター)として登場しているのではないか」という着想が生まれます。古来、ソリプシズム(唯我論)は哲学的に議論され、デカルトも「我思う、ゆえに我あり」と述べたように、疑い得るすべてを排して最終的に確実だと言えるのは「自分が思考しているという事実」だけだとしました。もし他者の存在を疑っても、自分自身の思考が生み出す像としての他者がそこに在るだけではないか──そんな着想は、現代の情報技術的メタファーである「サーバー」と「NPC」を借りることで、より鮮明にイメージしやすくなるのです。

──あなた(=プレイヤー)のサーバーでは、世界の法則や歴史、他者の性格や出来事があらかじめプログラムされ、あなたの入力(意志決定)に応じてシナリオが動的に書き換えられる。NPCと呼ばれるキャラクターたちは、スクリプトに従い、あたかも自律的存在であるかのように振る舞うが、実のところはすべて入力を受けた際の「演出」に過ぎない。あなたにとってはそれがまさに「世界」であり、他者の意思や感情、苦悩や喜びも、結局はあなたのサーバーが生み出した仮想演算結果なのではないか──このモデルは、自己と他者、主観と客観の境界を根底から揺さぶります。

一方で、もし各人が自分専用のサーバーを持ち、並行して無数のパラレルワールドを同時に体験しているとすればどうでしょうか。あなたにとっての「現実」はあなたのサーバーから送られてくるデータストリームであり、他者のサーバーもまたそれぞれ独立して稼働している──しかし、なぜか不思議なことに、他者のサーバーから漏れ出した情報(互いの言葉や行動)がネットワークを介して同期し合い、まるで一つの共通世界を共有しているかのように錯覚させられている。これはまさに、マルチユーザーのオンラインゲームにおける「シャード」や「インスタンス」の概念にも似ています。各シャードは独立したインスタンスですが、プレイヤー同士はあるロビーやゲートで出会い、あたかも同一世界で遊んでいるかのように感じる。現実世界もまた、各人のサーバー群が背後で並列稼働し、その中の情報が何らかの仕組みで同期されているのかもしれません。

では、なぜこのような構造があるのか──もし我々の世界が本当に「シミュレーション」であるなら、誰が何の目的でこのシステムを構築したのかという疑問が湧きます。宗教的解釈では「創造主(神)」と呼ばれ、科学的・技術的には「高次文明」や「未来の人類」が想定されます。彼らは実験として、あるいは娯楽として、部分的に、もしくは全面的にシミュレーションを稼働させているかもしれない。あるいは、そこにいかなる意図もなく、単に計算リソースの使い道の一つとしてシミュレーションを走らせているだけかもしれません。いずれにせよ、私たちの「本当の」現実とは何か、その輪郭はぼんやりとしてつかみどころがありません。

しかし、こうした思索に没頭するほどに気づかされるのは、「もし私が唯一の実在で、この世界が私の内的生成物だとしても、やはり他者と思考した『何か』が現れる以上、そこには何らかの法則性や真理が存在せざるを得ない」ということです。単なる幻影ならば、次々と矛盾や破綻が生じるはずですが、実際には物理法則や倫理、社会性などが驚くほど一貫して立ち現れます。だからこそ、宗教や哲学、科学は「真理の探求」として、共通の法則性を可視化しようと努めるのです。

結局、この世がシミュレーションであろうと、各人が独自のサーバーを持つパラレルワールドを体験していようと、私たちの手元には「今、ここで感じ、考え、選択する」というリアルな体験しか残りません。ですから、たとえそれが高次のプログラムによって演出されたものだとしても、その中で得られる「気づき」や「他者への共感」「自然の美しさ」に心を打たれる瞬間は真実です。最終的には、シミュレーションの構造やメタフィジカルな仕組みに囚われるよりも、「今ここで何を感じ、何を行動するか」という一瞬一瞬の現実性そのものを問い続けることが、最も重要なのではないでしょうか。

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