怪物と戦う者の覚悟――深淵にのまれないために
「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。」
「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。」これは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが残した有名な言葉であり、人間の内面や道徳観に関する深い洞察を含んでいる。ここで言う「怪物」とは、単なる恐ろしい存在だけを指すのではなく、悪や暴力、権力、憎悪といった負の力そのものを象徴している。そして、「深淵」は、そうした負の力に向き合い続けることが、人間の精神や人格に及ぼす影響を表している。
この言葉の意味を考えるとき、私たちは歴史や日常の出来事から多くの例を見つけることができる。たとえば、正義の名のもとに悪を討とうとした者が、次第にその悪と同じような手段を取るようになり、やがては自分自身がかつて戦おうとしていた存在になってしまうことがある。権力者が腐敗する過程や、復讐を誓った者が復讐心に飲み込まれてしまう様子は、この言葉の現実的な例と言える。
歴史の中で、独裁者や革命家が最初は「正義」の旗を掲げていたにもかかわらず、次第に圧政や暴力を正当化し、自らが怪物になってしまう例は枚挙にいとまがない。フランス革命におけるロベスピエールや、20世紀の独裁者たちは、その典型。彼らは元々、腐敗した体制と戦うために立ち上がったが、やがて権力に取り憑かれ、自分たちが倒そうとしていた存在と同じ、あるいはそれ以上に恐ろしい存在へと変貌してしまった。
しかし、これは単に歴史上の出来事に限られる話ではない。私たちの日常生活の中にも、この言葉が示唆する教訓は多く存在する。たとえば、誰かに対する怒りや憎しみを抱き続けることは、しばしば自分自身の心を蝕む。悪意に満ちた環境に長く身を置けば、自分もまたその悪意に染まってしまう可能性が高い。SNSなどでは、正義感から批判をするつもりが、いつの間にか自分もまた攻撃的になり、かつて非難していた人々と同じような行動をとってしまうこともある。
では、私たちはどうすれば「怪物と戦いながらも、怪物にならずに済む」のだろうか。ひとつの答えとして、自分の内面を常に省みることが挙げられる。正義感や使命感に駆られるときこそ、自分の行動や感情が歪んでいないか、自分自身がかつて否定したものと同じ存在になっていないかを問い直す必要がある。また、悪と戦うために悪を用いるのではなく、より理性的で道徳的な手段を選ぶことも大切です。
この言葉は、人間の弱さや危うさを鋭く指摘すると同時に、私たちに警鐘を鳴らしている。どれほど崇高な目的を持っていたとしても、その過程で自分を見失ってしまっては意味がない。深淵をのぞき込むとき、私たちはその深淵から目を逸らす勇気もまた持たなければならないのです。
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